鎌長のささいな出来事 ~社員用駐車場の移動~

宇龍ヶ岡の碑

テレビでニュースを見ている時。日によっては、これがニュースで流れているということは、今日は平和だったのかな……と感じることがあります。確かに、大きな事件や事故ばかりがニュースではありません。我々の日常は、ささいな出来事を積み重ねています。

というわけで、今回は弊社のささいな出来事をご紹介させていただきます。ご了承ください。

このたび、弊社 鎌長製衡㈱本社の社員用駐車場を移動しました。

これまで、本社敷地内と、敷地に隣接した部分に社員用駐車場を設けておりました。今回、敷地内に駐車していた部分を、鋼材置き場として活用するべく、別途 社員駐車場を整備しました。場所は本社からは少し離れた東側に位置します。

実はこの駐車場の近辺には、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」で始まる、『平家物語』に登場するエピソードに関する史跡が多くあるようです。

弊社の本社のある高松市牟礼町周辺には、源平の「屋島の戦い」にまつわる史跡やゆかりの地が多く残されています。「屋島の戦い」とは、香川県を舞台に起こった日本の歴史に残る出来事の一つです。

日本史上では、「治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)」という、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱の中でも、後期1185年に起こった戦いを指します。

弊社本社のすぐ近くにある、いくつかの史跡をご紹介させていただきますね。

「菜切地蔵(なきりじぞう)」

菜切地蔵
菜切地蔵

→弊社本社の南西に位置します。武蔵坊弁慶が、兵の食事を用意する際に、お地蔵さまの背中をまな板代わりにして、刀で菜を切ったといういわれのあるお地蔵さまです。

「長刀泉(なぎなたいずみ)」

長刀泉(なぎなたいずみ)
長刀泉(なぎなたいずみ)

→弊社の西側に井戸の跡があります。弁慶が、兵の食事を用意する際に、海水地であった現在の牟礼の地で、調理・飲用に使用できる真水を求めて、長刀(なぎなた)で井戸を掘ったといわれています。

「瓜生が丘(うりゅうがおか)」

宇龍ヶ岡の碑
宇龍ヶ岡の碑

→弊社の東側に、「宇龍ヶ岡」の石碑が立っています。この碑から望む一帯の丘が、瓜生が丘(うりゅうがおか)といわれ、源平の戦いの際には、屋島にいる平氏を攻めるために、源氏の陣が布かれていたとされます。

史跡だけでありませんが、身近にあると近すぎて、意外に気付かないことも多いです。駐車場から歩きながら、残暑に埋もれている季節の移り変わりを感じたいと思います。