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源平ゆかりの地 in 高松市牟礼町

源平の「屋島の戦い」は、香川県を舞台に起こった日本の歴史に残る出来事の一つです。

日本史上では、「治承・寿永の乱(じしょう・じゅえいのらん)」という、平安時代末期の治承4年(1180年)から元暦2年(1185年)にかけての6年間にわたる大規模な内乱の中でも、後期 1185年に起こった戦いです。

屋島の戦いに関して、屋島の古戦場をはじめ、さまざまの史跡・ゆかりの地が残されています。近辺に、実に10ヶ所以上あるそうで、特に高松市牟礼町には、「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。」で始まる、『平家物語』に登場するエピソードに関する史跡が多くあるようです。

弊社本社のある、高松市牟礼町牟礼の近辺にも多くの史跡が、今に残されています。

今回は、鎌長製衡の本社のすぐ近くにある、いくつかの史跡をご紹介させていただきます。

 

菜切地蔵(なきりじぞう)

→弊社本社の南西に位置します。武蔵坊弁慶が、兵の食事を用意する際に、お地蔵さまの

背中をまな板代わりにして、刀で菜を切ったといういわれのあるお地蔵さまです。

 

長刀泉(なぎなたいずみ)

→弊社の西側に井戸の跡があります。弁慶が、兵の食事を用意する際に、海水地であった

現在の牟礼の地で、調理・飲用に使用できる真水を求めて、長刀(なぎなた)で井戸を

掘ったといわれています。

 

瓜生が丘(うりゅうがおか)

→弊社の東側に、「宇龍ヶ岡」の石碑が立っています。この碑から望む一帯の丘が、瓜生が

丘(うりゅうがおか)といわれ、源平の戦いの際には、屋島にいる平氏を攻めるために、

源氏の陣が布かれていたとされます。

 

もしかしたら、今自分がいる、この事務所・工場を、

平氏が、源氏が、逃げて追って、駆け抜けたかもしれない。

義経が身体を休めるため、腰かけていたかもしれない。

サムライだけでなく、庶民の生活もまた、時代の変わり目で揺れ動いていたことでしょう。

史跡は、地元の皆様が日頃よりきれいにしてくださっており、石碑や看板が設置されております。近くにお越しの際には、ご興味のある方は、ぜひお立ち寄りくださいませ。

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